CHOCOLATINO ラテンの風 - Part 63
CHOCOLATINO  ラテンの風 Rotating Header Image

下町のナポレオン

チリといえばやっぱワインだよなー、でも一人旅じゃ贅沢できないし・・・・
という旅人達でもスーパーに行くと、ついつい買い物カゴに入れてしまうのが紙パックのワイン。ボトルワインよりさらに安く、1リットル200〜300円程度で購入できます。この紙パックワインを宿の台所で飲みながら旅情に浸る、安宿でよくある光景です。

でも、この紙パックワインは少しでもワインを飲んでいる人ならあまり買わないみたいです。現地の友達に「アレ飲んでんの?アレは絶対ナイ!ナッシング。安いのでよいのだからせめてボトルワイン飲んでくれヨ〜、CHOCOLATINO!」と全否定。確かに数百円プラスして買ってみたボトルワインは素人のCHOCOLATINOにも明らかな違いが分かりました(香り?苦み?渋み?)・・美味い!  がしかし、それなりに酔える下町のナポレオンも捨てがたい・・・葛藤が続く日々です。

*写真は下町のナポレオンこと“ガトーネグロ”(英訳:ブラックキャット!)ガンバレ、ガトー!!

(紙パックにボトルの絵で。。)

南米のバーベキュー

今夜は飲もう!!という時、南米ではアサドというバーベキューで盛り上がります。だいたい21時くらいに適当に集合。で、コンロをセッティング、火をおこし、炭をつくり、火力をあげ、網をきれいにして、網が熱くなったら肉を投入して、もちろんお酒をのみつつ、酒がなくなり買いに走り、

・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・

肉に焦げ目がつく頃には日にちが変わっています。それまでさんざん飲んで出来上がっているので、やっと焼けた♪とテンションが上がるチームと、待ちすぎて酔いのピークが過ぎグッタリしているチームに分かれます。グッタリチームは口数少ないものの美味しそうに黙々と食べて、パワーを取り戻し復活してきます!

肉以外にチョリソーをパンで挟んで食べるチョリパンという食べ物があります。溢れる肉汁をカリッとしたパンが両脇で旨味を見事にキャッチ、そのまま頂きます。日本のウインナー文化に慣れてしまったCHOCOLATINOにはチョリソーのパリっとした食感と肉汁にただ感動するばかり。その土地のワインやビールがあれば完ペキです。食べ終わってからもまだまだ宴は続き、街に繰り出したりします。

宴はだいたい予定通りに進むことはまずないのでなりゆきにまかせるしかありません。そもそも予定なんてナイです。今晩は家に帰れるのかな・・という時も結局はなんとかなります。キッチリしている人がいる時はもっと手際良く進んできますが、その辺はいつもなりゆきですね。

辺境の土地で経験したアサドは羊一頭丸焼きでした。CHOCOLATINOはかつてチリ南部のパタゴニアに滞在し、ある仕事のお手伝いをしていたことがあったのですが、街からバスで8時間、人口は数十人で周辺は羊が数千頭、プーマがいて、コンドルが上空を旋回しているような場所でした。ココん家は羊一頭丸焼き(両手両足を開いてぶらさがっています・・)。目の前にぶら下がった羊センパイの命を頂き美味しく食べることで、自分が生き延びることができるのだな、と謙虚なキモチになり羊センパイに感謝したものです。

アサドはその土地や家族ごとに微妙なスタイルが出てきて奥深いです。

肉がデカすぎて恐かったらしい。。。

忘れられない家族

ヒッチハイクしていると様々な出会いがありました。忘れられない人達のなかにナオミファミリーがいます。

当時、彼らもこの町に住んでいて、車に乗せてくれたのが縁で仲良くなりました。家族は4人(お父さん、お母さん、女の子、お婆ちゃん)なので、彼らの旧式の小さな乗用車では少し窮屈に見えました。最初に出会った時も4人乗っていたので、そこにサーフボードとCHOCOLATINOをパズルのように斜めに車内に押し込むと乗車率???%に・・・・恐縮しまくりでした。でも、彼らにとってはこの親切が当然の振る舞いで、とても自然だったのが印象に残っています。

このヒッチハイクが縁で食事に招かれ、彼らの家を訪ねるようになりました。彼らからチリの事やスペイン語を学び、彼らには日本のコトを教えました。それからも道端で会う時はいつも、車で通り過ぎても気づくとわざわざバックして戻ってきて声を掛けてくれました。ある時は、一度サヨナラを言って別れた後に、凄い勢いで追いかけてきたと思ったら、「お腹が空くから!」とサンドイッチと飲み物を持たせてくれるなど、いつも気にかけてくれていました。

その後、この町を去ってからしばらく南米各国を旅することになりますが、いつもナオミファミリーの心意気を覚えていました。現在、彼らはどこか別の町に引っ越してしまったようなので、もう会う機会はないと思います。直接会ってお礼は言えないけど、これから出会う人達には、かつて彼らがそうであったように大きなキモチ出し切っていきたい、そう心に誓った若かりし頃のCHOCOLATINOなのでした。

ヒッチハイク

サーフィンのおかげで仲間が増え、みんながチリの事、南米の波の事などイロイロと教えてくれるので、世界が少しずつ広がってきました。そして、この町の郊外にも良いサーフスポットがあるんだぜ、との事!コレはいかないわけにはいきません。そこで問題は交通手段でした。

タクシー ・・・・・高い、一日の生活費に匹敵。
路線バス ・・・・・時間があてにならない。本数少ない。
徒歩 ・・・・・・・3時間。。。
ヒッチハイク。。。。

お金に余裕のある外国人達はタクシーを使っていましたが高過ぎ、バスも分かりにくく、CHOCOLATINOは地元サーファーにならいヒッチハイクで通っていました。海へと向かう道端でサーフボードを抱え親指をたてて車が来るのを待ちます。待っていても来ない時は歩きながら。荷台つきのトラックは結構な確率で止まってくれました。わざわざ止まってくれるドライバーはみんな神様のように輝いてみえました!

昔の道路はオフロードで、トラックの荷台だと揺れが激しくお尻が痛くなります。それでも、風に吹かれながら眼前に遠ざかっていく海沿いの風景に見とれていると穏やかな気持ちになり、時間が経つのがとても短く感じられました。仲間と相乗りする時も、なぜかみんな静かに海を眺めていました。

帰り道は交通量が激減、一方で海上がりの人が多くなりヒッチハイクも競争が激しくなります。先に車を見つけた仲間が車に飛び乗り定員オーバーになると、「先に帰るゼー♪」と得意げにノリノリで帰宅してくのを見ると、コチラも早く帰りたくなりアセってくるものです。日が沈み暗くなると車が来ないので、宿に向かって歩いていたら着いちゃった、ということも度々ありました。

予定通りにいかない効率の悪いヒッチハイクですが、ドライバーの心意気に触れ、いろいろな人達と出会うキッカケになるし、単なる移動手段以上のワクワク感がありました。

ピトに出会った

(前回のつづきです。。)
彼らはその後、周辺の新しいサーフスポットを次々に開拓していくのでした。そうした過程の中でなんとかサーフィンを続ける方法を模索していたようで、サーフショップを始めたり、大会の運営を手がけたりする人も出てきました。また、当時高校生で将来はプロとして生きていくと語っていたラモンは本当に!実現させ、今や世界的なプロサーファーになっています。ラモンは今年のハワイのワイメアで行われたエディ・アイカウという世界のトップサーファーだけが招待されるビッグウェイブの大会で好成績を残す等、すっかり遠い存在になってしまいました。プロサーファーという職業が存在しないときから高い目標に向かって努力を続けていた素晴らしい成果です。
そして、その地元サーファーの中にいた一人がクリスチャン・ピトでした。彼も古い板をずっと大事に使いながら毎日サーフィンに明け暮れていました。いつも良い波を選び、波の難しい所をカッコ良く乗り、とにかく熱心に海に入っていました。その甲斐もあり、今ではチューブライダーとしてみんなに一目置かれています。当時から絵を描いているのは知っていたものの、会うとひたすら波乗りや飲んだりして過ごしていただけなので、この時は将来、一緒に仕事をすることなんてCHOCOLATINOは考えも期待もしていませんでした。
ピトはその後ももちろん波乗りを続けていて(というかどっぷりハマり・・)、より海に近い場所(すぐ目の前!)で暮らし始めたことで彼の感性に磨きがかかっているようです。最近では町全体の標識を彼が手がけるようになりました。「海岸まで〜キロ」というのがサボテンの看板だったりするので、街を歩いているだけでワクワクしてきます。さらにサーフィン大会のトロフィーやコンテストの運営など、ピトの仕事はさまざまな分野に広がっています。

幸運な出会い

翌日から毎日波乗り。町中から海岸へ出て湾の先端まで歩いていくと理想的な波が割れています。メチャメチャ良い波なのに海の中ではほとんど人がいません。。サーフィン自体は70年代後半〜80年初め頃から行われていたようですが主に海外から訪れる一部のサーファーの楽しみだったようです。

初めて訪れた当時もまだ地元サーファーは少なく数十人程度だったと思います。今日はアイツが海にいるけど、アイツ来てないね〜、でも後から来るって、と全て把握できるくらいみんながクラスメートのような濃密な繋がりがありました。当然ながら海で毎日顔をあわせていると、アジア顔でニューフェイスのCHOCOLATINOはどうしても目立ってしまいます。どこだか分かんないけど地球の反対側でウォークマンや家電製品とか車を作るのが得意な国にもカンフー(よくジャッキー・チェン呼ばわりされた。。)ではなく波乗り好きなヤツがいて、わざわざこんな場所までひとりでサーフィンするためにやってくるのだな、オモシロいね世界のヘンタイだねー、と珍しがられ喜ばれていました。彼らの世界に対する好奇心とオープンな性格、ヘンタイ呼ばわりのおかげですぐにみんなと仲良くなることができました。

まだまだサーフィンがマイナースポーツだった当時のチリでは、周りからは地元サーファーは変わり者だと思われていたようでもあります。彼らは真っ先にCHOCOLATINOを仲間として受け入れてくれました。とにかく海や波乗りが好きでなんとか続けていきたい、という想いを共有できたからでしょう。もっとサーフィンが上手くなって、みんなでたくさん良い波に乗り続けたい、と前向きなエネルギーがみなぎっていました。彼らと仲良くなってからは海でも陸でもいつも一緒でした。そして幸運だったのが、彼らがこの町で海と共に育ちサーフィンをはじめた最初の世代だったということです。みんな若くてお金がないので穴だらけのウエットスーツを着て、古く変色した中古の板を折れてもくりかえし何度も修理しながら大事に使っていました。無駄な偏見がなく本当にサーフィン大好きな人間だけが海にやってきて楽しんでいた時代でした。夜は夜でフィエスタで忙しい幸せな時代。

この後ひたすらサーフィンしまくる日々がしばらく続きます。その時は、まさか彼らがチリのサーフィン史を創っていく人達になるとは思いもしませんでした。

NGENとは?

お客様からお問合せのあるANERのロゴNGENについてです。

南米のマプチェ語のNGENとは、自然界の場所や現象、そして自然そのものに宿るエネルギーや精霊のことを表しています。マプチェの考えてはで自然界の全てのモノコトに魂やエネルギーが宿ると考えられているそうです。例えば、森や湖、山、草花、そこで暮らす生物全てにそれぞれNGENが存在し、彼らは常にNGENのエネルギーを感じながら生活しているというワケです。

この風景からNGENを感じとってくださいませ。。

商品のお問合せはCHOCOLATINOお問合せフォームまたはコチラからどうぞ。

小さな森

しばらく森の中を走り続けると、その先端に海と小さな町が見えてきました。車掌さんが外を指差し声をかけてくれ、降りるよう促されました。どうやらココが目的地のようです。荷物を受け取り、海へ向かって歩いていくと、凄い数の人達がジッとコチラを見つめています。どうやら日本人をはじめアジア人をほとんど見た事がなく、珍しがっているようです。いろいろ話しかけられるのですが全く理解できず「ハポン(ニホン)!」というと、ひとまず納得して遠ざかっていきます。。。

丘の上に車1台が通れる程度のメインストリートがあり、両脇に小さなお店が建ち並んでいます。大きなスーパーなどなく肉屋、八百屋、パン屋、魚屋、酒屋、床屋、バー、レストラン、電話屋、洋服屋・・・この周辺だけは熱を帯びていてワクワク活気があり、この町の中心だということが分かります。学校帰りの子供がベンチに腰掛け、大人は買い物など用事を片付けるのにたくさん集まってきます。ただ、メインストリートから外れると手作りのカラフルな家が建ち並びひっそりと静かな印象。土の道路には砂埃が舞い上がり、野良犬と馬の大きなウンチが数メートルおきに落ちているくらい。

丘から見える海には、波が奇麗にラインナップされ理想的な形をつくり、音をたて崩れています。こんなに長く乗れるのか、ここの波は。。ニュージーランドにはいたものの日本での一般的な波乗りが中心だった自分には新鮮な光景でした。チリの波、チリの人柄に触れはじめ、地球の反対までやってきなのだなー、と実感&ヤル気、他にもイロイロみなぎってきました。

さらに歩き続け荷物の重さにも耐えられなくなった頃、リーズナブルな雰囲気の民宿風の宿を発見。海にも近いのでココに落ち着く事に。「泊まりたい」と伝えるだけでかなり時間がかかりましたが、とにかく一番安い部屋をゲット。窓もなく一日中真っ暗で寒い部屋ですが、とにかく安いのとキッチンさえあれば当時は気になりませんでした。

荷物を降ろしお茶を飲みつつ空を眺めていると、馬のウンチの匂いが心地よく感じられるようになってきました。イロイロが日本みたいに整備されているわけではないけど、その隙に優しさがあります。「小さな森」と呼ばれるこの町をCHOCOLATINOが好きになり始めた瞬間でした。

Aner Urra Peña

新しいアーティストを紹介します。数年前に南米の先住民マプチェの仲間ができ、現地を訪れる機会が度々あります。そんな中出会ったのがアネル・ウラ・ぺニャです。マプチェとは彼らのマプチェ語で「大地の民」という意味です。

アネルはチリ中南部ヴィジャリカ出身。ヴィジャリカは森に囲まれた緑豊かな湖のある町です。アネルは湖や森、空、そこに暮らす生き物達を毎日見つめ、湖が怒った時の波の表情や、冬の雨、春の雨…祖先が代 々見続けてきた自然や生き物達を描いています。小さな頃から落書きばかりしていたのですが、本格的に色彩、絵画、イラスト、グラフィックデザインを学びアーティストとしての活動をスタートしました。現在は広告やグラフィックデザインに加え、グラフィティ・クルー「アラピンタ」の一員としてグラフィティ活動でも知られています。全ての作品に大昔の祖先から受け継がれた自然への敬意が込められています。

そして、第一弾がこのTシャツです。

ヴィジャリカの湖に棲む魚、森、山、空・・・チリやアルゼンチンなど国境ができるずっと前の大昔から彼らの祖先が見続けてきた原風景です。

カラーはBloom, Gold, Natural *写真はBloomです

お問合せ&ご注文はお問合せフォームまたはコチラからどうぞ。売り切れの場合も別途製作できるかどうか確認のうえお返事致します。

他商品もモデル名、カラー、サイズ等CHOCOLATINO迄お気軽にお問合せくださいませ。

各駅停車バスの旅

地下鉄からバスターミナルへと歩く歩く。コッチを見ている人がみんな全員スリに見えてきてやや緊張します。でも、長いサーフボードをブンブン振り回しながら歩いているので微妙な距離間を保ち、CHOCOLATINOには誰も近寄ることができません。。チリではバスが庶民の一般的な交通手段なので、バスターミナルには大きな荷物を抱えた人達が集まりとても活気があります。東京で例えると上野駅でしょうか。バスは定刻通りに出発。停留所はもちろん、乗客が乗降したい場所でも停まってくれます。また、お菓子や新聞を売る人が乗り込んでくるので数百メートルおきに停まる事もよくあります。街から遠ざかるにつれ車窓には田園風景が広がり、ブドウ畑もたくさん見えてきました、ワインもこの周辺で作られているみたいです。地方の町には、古き良きチリというか、ゆったりした雰囲気がまだ残っていました。建物はカラフルにペイントされ、家の前に椅子を出してずっとコチラを見ているオジさん、馬にリヤカーを引かせている農夫…マントやつばの大きな帽子を被った紳士達が、気取らず楽しげに会話をしています。やがて一人二人と乗客が降りていき民家がなくなり暗い森の中へ、道路の舗装もなくなり土煙を巻き上げながらバスは走り続けます。本当に着くのかどうか心細くなってきました。