翌日から毎日波乗り。町中から海岸へ出て湾の先端まで歩いていくと理想的な波が割れています。メチャメチャ良い波なのに海の中ではほとんど人がいません。。サーフィン自体は70年代後半〜80年初め頃から行われていたようですが主に海外から訪れる一部のサーファーの楽しみだったようです。
初めて訪れた当時もまだ地元サーファーは少なく数十人程度だったと思います。今日はアイツが海にいるけど、アイツ来てないね〜、でも後から来るって、と全て把握できるくらいみんながクラスメートのような濃密な繋がりがありました。当然ながら海で毎日顔をあわせていると、アジア顔でニューフェイスのCHOCOLATINOはどうしても目立ってしまいます。どこだか分かんないけど地球の反対側でウォークマンや家電製品とか車を作るのが得意な国にもカンフー(よくジャッキー・チェン呼ばわりされた。。)ではなく波乗り好きなヤツがいて、わざわざこんな場所までひとりでサーフィンするためにやってくるのだな、オモシロいね世界のヘンタイだねー、と珍しがられ喜ばれていました。彼らの世界に対する好奇心とオープンな性格、ヘンタイ呼ばわりのおかげですぐにみんなと仲良くなることができました。
まだまだサーフィンがマイナースポーツだった当時のチリでは、周りからは地元サーファーは変わり者だと思われていたようでもあります。彼らは真っ先にCHOCOLATINOを仲間として受け入れてくれました。とにかく海や波乗りが好きでなんとか続けていきたい、という想いを共有できたからでしょう。もっとサーフィンが上手くなって、みんなでたくさん良い波に乗り続けたい、と前向きなエネルギーがみなぎっていました。彼らと仲良くなってからは海でも陸でもいつも一緒でした。そして幸運だったのが、彼らがこの町で海と共に育ちサーフィンをはじめた最初の世代だったということです。みんな若くてお金がないので穴だらけのウエットスーツを着て、古く変色した中古の板を折れてもくりかえし何度も修理しながら大事に使っていました。無駄な偏見がなく本当にサーフィン大好きな人間だけが海にやってきて楽しんでいた時代でした。夜は夜でフィエスタで忙しい幸せな時代。
この後ひたすらサーフィンしまくる日々がしばらく続きます。その時は、まさか彼らがチリのサーフィン史を創っていく人達になるとは思いもしませんでした。