CHOCOLATINO -旅の記録- | CHOCOLATINO ラテンの風 - Part 19
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CHOCOLATINO -旅の記録-

分からされました。

CHOCOLATINOよ、喝ッ
ヤバいと思った直後、巨大なセットに巻かれ口とアゴを岩に強打。あとは省略(恥)。。

「ゴォッ!」
かなりの重たい衝撃がアゴに乗っかってきた。瞬間だったので痛さは感じない。その直後に「アミーゴ!大丈夫か??」と丘の上で見ていた人に言われ、口の中で舌を動かすとあるはずの前歯が3本ない?・・欠けてしまった、なんか歯並び全体も変わった気が??? アゴに触れた手を見ると真っ赤・・モノ凄い量の血が流れ始めていた、鮮やかな赤色だった。。「Haa、やったちゃったか〜」すぐに海から上がると、アミーゴが心配そうに駆け寄ってきた。「病院いったほうが・・」。彼らの表情でこの事態にようやく気づきました。ドンドン痛みが増してきた。

結局、歯が3本欠け、アゴの外と口の中がパックリと開いてしまっていた。病院ではすぐに縫おうということになり、たくさんの患者さん達をかき分け手術台へ。アゴの皮膚がビィーン!と強く引っ張られ、針と糸が何回も行ったり来たり・・今思い出すだけでもイターイ。顔はみるみる3倍くらいに腫れ上がってしまった。でも、そんな自分のコトよりもアミーゴ達をはじめとした地元の人達、お医者さんがみんな親身になって気にかけてくれたことが、とても印象に残りました。この時、いつかみんなの親切に何かお返しできれば、というキモチがCHOCOLATINOの中に芽生えた瞬間でありました。この出来事が今の仕事に繋がっています。
(PS..歯医者さんは歯をメチャメチャ抜きたそうだった…..が、そこは捨て身で抵抗ッ。。。)

未体験の領域の波のコンディションだったにも関わらず、自分の安易な判断が招いた当然の結果でした。この程度のケガで済んで良かった。海が教えてくれたこの貴重な体験は、その後の海への接し方に大きく影響しています。生きてて良かった、ホッ。。

過信すると。。

ラモンが招待されているエディ・アイカウは順延になっていました、残念。
さて、CHOCOLATINOの旅話。前回から随分と時間が経ってしまいましたが思い出しつつ。。

憧れの海の目の前(写真はCHOCOLATINO邸、窓の外は誰もいないOCEAN♪)
ゴキゲンな仲間と刺激し合い良い波でサーフィンできる毎日!

素晴らしい環境のおかげでさすがにCHOCOLATINOなりに波乗り技術も心構えもステップアップしてきていろんな波に乗れるようになってきました。そうなると次第に、よりデカくよりムズカシイ波にカッコ良く乗りたい、と思うようになっていきました。海に魅せられたというか取り憑かれたようにひたすら夢中に。。一日中、海にいても飽きることがありませんでした。そんなある日、そこそこ波の大きな日にパドルアウト。アルゼンチンの友達と3人だけのセッションで、ドンドン波が大きくなるにもかかわらずセットをつかまえてガンガン波に乗れるようになっていて、まさかの自分でもビックリ。海から上がった後も「ヤー、さっきのCHOCOALTINOの波さー、デカかったじゃん、横で見てたけどヤバかったよー♪グランデ、サムライ最高♪」なんて言われると、謙虚にしていてもチョイチョイ調子に乗りそうになってしまいます。高揚した状態のままその日は終了。で、次の日はさらに波がデカくなっていました。ガンガン、壁みたいなセットが入ってきます。「オー、この感じねー、イケるかなー、みんなが来る前に乗って自慢できるかも、フへへ」と独りでパドルアウト。。

このアマすぎる判断のせいで、熱烈な喝ッを入れられることになるとはッ!

裸の付き合い

夕方になると仲間は次々とヒッチハイクで車をつかまえて街へ帰っていきます。
「チャオ、アミーゴ!」

静かになった夕暮れから
CHOOCOLATINO
邸は食事の準備や風呂等の寝るまでの仕度を済ませないといけません。

電気がなく外は真っ暗になるのでまずは風呂から。
風呂は海岸の入り江にある岩場の水溜まりにいつも浸かっていました。
ただココん家のジャグジーは南極からの海流のせいでキンキンに冷たく数秒浸かっているのが限界でした。それでも風呂上がりの爽快感を味わうために唇をムラサキ色に光らせながら毎日入浴していました。でも、この海流のおかげで時には写真のような南極方面からの先客のアミーゴが入っている事がありました。
なんだかんだつい長居してしまう氷風呂。

風呂上がりはビールというよりもウォッカを飲みたい感じ。。

賑やかな午後、アミーゴ達

静かな朝が終わりお昼頃になると、徐々に仲間が集まり賑やかになってきます。

みんな必ず「朝の波はどうだった?」と聞いてきます。
返事は必ず「朝が今までで一番よかった、今までサーフィンしてきた中で一番かも!」

・・・・・マジかよCHOCOLATINO

みんなが悔しがる表情を見るのが楽しみでした。また実際ほとんど朝の波が良かったように思います。

午後はローカル達のセッションになります。みんな悔しさをこらえながら海へ走って行きます。良い波の時は一緒に入り、そうでもない時は丘の上でマテ茶を飲みながらみんなの波乗りを眺め、彼らの荷物を預かっていました。周辺には人も建物も何もなかったので、着替えと荷物をCHOCOLATINO邸で引き受けていたのでした。海の家みたいな感じです。

当時もチリや南米各地からマニアックなサーファーが訪れていたのでイロイロな人に出会っていました。
なので今でも覚えていて声をかけてくれる人が多いのですが、

アミーゴ・・・「Oh、CHOCOLATINO!ホラあの時のオレだよオレ!!」
CHOCOLATINO・・・
「アァ、あの時の(・・誰だっけ??)!!」

話を合わせつつラテンの勢いで乗り切ります。。。

静かな朝、漁師とのセッション

朝起きると目の前は海。
やや肌寒いのですがひとりで海を眺めながら朝食を食べるのが毎日の日課になりました。

海面に霧がかかり、その奥から波の割れる重くて力強い音が聞こえてきます。そして霧の向こうからラインナップされた波が次々と押し寄せ目の前に迫ってきます!風もなくサーフィンするには最高のコンディションですがサーファーはいません。当時は、朝から海に入る習慣があまりなかったようで、午前中は海にほとんど人がいませんでした。南極からの海流で海水が一年中冷たいのと夜型の生活をしている人が多かったので、朝からサーフィンしようという意識はあまりなかったようです。また、いつでも海が空いているからわざわざ朝入らなくてもねー、というゆとりのある時代でもありました。

そうなると、毎朝海にいるのは漁師のマルソーおじさんとCHOCOLATINO二人だけでした。マルソーおじさんは岩場の先端から網を投げ獲物を狙い、浅瀬では仕掛けを持ち込んで海に潜っています。自分はその沖で波に乗っているわけですが、良い波に乗った時の証人がマルソーおじさんだけだったので、

「さっきの波どうだった??」
「あの波はヤバかったね、カミカゼ・アミーゴ!オレも大漁なんだ見ろよこのペスカード(魚)♪」

などと陸に戻るとお互いの成果を話し合ったものです。この時もまだほとんどスペイン語は理解していませんでしたが、理解したつもりにはなっていました。。。

当時は、本当に人がいなかったのでお互いの事を良く覚えています。今でもオジさんと会うとあの時の話になります。最近は、マルソーおじさんの息子が遂にサーフィンをはじめてかなり夢中になっているとか。マルソーJr.も交えた三人のセッションが待ち遠しくなってきました。

静かな夜

借りた小屋は裸電球と小さなベッドがあるだけ。

水道は母屋のタンクから長いホースが繋がっていたのですが、本当に必要な時だけ使う程度の量しか出ませんでした。もちろんトイレもありません。壁は石を積み上げて作ってあるだけなので、スキマ風がかなり吹き込んできて冬の冷たい風が身に染みます。日が沈む頃にはみんな帰ってしまい、辺りは急に静かになり波音とCHOCOLATINOの呼吸だけが聞こえてきます。

それでも、毎晩ワクワクしていました。暗くなると星空がギラギラ輝きはじめ、流れ星がザーザー流れまくり、見ていて全く飽きる事がありません。寒くて長時間外にいることができませんが、星チェックが毎晩の日課になっていました。そして何より、次の日の波乗りが待ち遠しく楽しみで仕方ありませんでした。そんなアレコレであっという間に寝る時間になり。。。

ただ、「ガルガルッ(怒)」と野良犬の雄叫びが聞こえると、ちょっとアセります。。。

引越し

海の外でよく遊んでいた友達にトーニョ君がいました。

トーニョ君ははヒッチハイクで行くサーフスポットの目の前に住んでいました。当時、そのポイントの丘の上周辺数キロの土地は彼の仕事のボスが所有している私有地で、彼らの家以外に建物がほとんどなく家の周りの景色は海と空&自生するサボテン・・とても静かで神秘的な場所でした。ある日トーニョ君とボスを交えて話していたときの事、「ちょうど海の真ん前に小屋があるから、あの小屋好きなだけ使っていいヨ、アミーゴだからッ!」と嬉しいオファー!人がたくさん集まる安宿での生活も楽しいのですが、よりディープに追求したかったCHOCOLATINOには最高のお誘いでした。「明日から来ます!グラシアス!」とその場で即決、新生活が始ったのです。

波乗り以外

チリに来て約1ヶ月。

波のない日は全くありませんでした。サーフィンができない日は波が大きくて潮の流れがキツ過ぎる時だけ・・・・波の下を1回くぐり抜けるだけでカルく100メートルは流されてしまい、元の場所に戻ることができません。この川のような潮の流れはどうしようもなく、みんなでボンヤリと過ごすしかありませんでした。そんな時でも海には人が入れ替わりやってきて、波乗り・仕事・噂話etc ワイワイ喋り倒して帰って行きます。そこでCHOCOLATINOは新しい仲間と出会い、海の中でも外でも人の輪が広がっていくのでした。

下町のナポレオン

チリといえばやっぱワインだよなー、でも一人旅じゃ贅沢できないし・・・・
という旅人達でもスーパーに行くと、ついつい買い物カゴに入れてしまうのが紙パックのワイン。ボトルワインよりさらに安く、1リットル200〜300円程度で購入できます。この紙パックワインを宿の台所で飲みながら旅情に浸る、安宿でよくある光景です。

でも、この紙パックワインは少しでもワインを飲んでいる人ならあまり買わないみたいです。現地の友達に「アレ飲んでんの?アレは絶対ナイ!ナッシング。安いのでよいのだからせめてボトルワイン飲んでくれヨ〜、CHOCOLATINO!」と全否定。確かに数百円プラスして買ってみたボトルワインは素人のCHOCOLATINOにも明らかな違いが分かりました(香り?苦み?渋み?)・・美味い!  がしかし、それなりに酔える下町のナポレオンも捨てがたい・・・葛藤が続く日々です。

*写真は下町のナポレオンこと“ガトーネグロ”(英訳:ブラックキャット!)ガンバレ、ガトー!!

(紙パックにボトルの絵で。。)

南米のバーベキュー

今夜は飲もう!!という時、南米ではアサドというバーベキューで盛り上がります。だいたい21時くらいに適当に集合。で、コンロをセッティング、火をおこし、炭をつくり、火力をあげ、網をきれいにして、網が熱くなったら肉を投入して、もちろんお酒をのみつつ、酒がなくなり買いに走り、

・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・

肉に焦げ目がつく頃には日にちが変わっています。それまでさんざん飲んで出来上がっているので、やっと焼けた♪とテンションが上がるチームと、待ちすぎて酔いのピークが過ぎグッタリしているチームに分かれます。グッタリチームは口数少ないものの美味しそうに黙々と食べて、パワーを取り戻し復活してきます!

肉以外にチョリソーをパンで挟んで食べるチョリパンという食べ物があります。溢れる肉汁をカリッとしたパンが両脇で旨味を見事にキャッチ、そのまま頂きます。日本のウインナー文化に慣れてしまったCHOCOLATINOにはチョリソーのパリっとした食感と肉汁にただ感動するばかり。その土地のワインやビールがあれば完ペキです。食べ終わってからもまだまだ宴は続き、街に繰り出したりします。

宴はだいたい予定通りに進むことはまずないのでなりゆきにまかせるしかありません。そもそも予定なんてナイです。今晩は家に帰れるのかな・・という時も結局はなんとかなります。キッチリしている人がいる時はもっと手際良く進んできますが、その辺はいつもなりゆきですね。

辺境の土地で経験したアサドは羊一頭丸焼きでした。CHOCOLATINOはかつてチリ南部のパタゴニアに滞在し、ある仕事のお手伝いをしていたことがあったのですが、街からバスで8時間、人口は数十人で周辺は羊が数千頭、プーマがいて、コンドルが上空を旋回しているような場所でした。ココん家は羊一頭丸焼き(両手両足を開いてぶらさがっています・・)。目の前にぶら下がった羊センパイの命を頂き美味しく食べることで、自分が生き延びることができるのだな、と謙虚なキモチになり羊センパイに感謝したものです。

アサドはその土地や家族ごとに微妙なスタイルが出てきて奥深いです。

肉がデカすぎて恐かったらしい。。。