ヒッチハイクしていると様々な出会いがありました。忘れられない人達のなかにナオミファミリーがいます。
当時、彼らもこの町に住んでいて、車に乗せてくれたのが縁で仲良くなりました。家族は4人(お父さん、お母さん、女の子、お婆ちゃん)なので、彼らの旧式の小さな乗用車では少し窮屈に見えました。最初に出会った時も4人乗っていたので、そこにサーフボードとCHOCOLATINOをパズルのように斜めに車内に押し込むと乗車率???%に・・・・恐縮しまくりでした。でも、彼らにとってはこの親切が当然の振る舞いで、とても自然だったのが印象に残っています。
このヒッチハイクが縁で食事に招かれ、彼らの家を訪ねるようになりました。彼らからチリの事やスペイン語を学び、彼らには日本のコトを教えました。それからも道端で会う時はいつも、車で通り過ぎても気づくとわざわざバックして戻ってきて声を掛けてくれました。ある時は、一度サヨナラを言って別れた後に、凄い勢いで追いかけてきたと思ったら、「お腹が空くから!」とサンドイッチと飲み物を持たせてくれるなど、いつも気にかけてくれていました。
その後、この町を去ってからしばらく南米各国を旅することになりますが、いつもナオミファミリーの心意気を覚えていました。現在、彼らはどこか別の町に引っ越してしまったようなので、もう会う機会はないと思います。直接会ってお礼は言えないけど、これから出会う人達には、かつて彼らがそうであったように大きなキモチ出し切っていきたい、そう心に誓った若かりし頃のCHOCOLATINOなのでした。








CHOCOLATINOはかつてニュージーランドで働きながら大好きな波乗りを続けていたことがあります。ニュージーランドの波を堪能し、温かな人情や壮大な自然にも触れ文句はないはずですが、何か物足りないというか満たされないモヤモヤをいつも抱えていました。そのせいか未知の世界を訪れたい、という気持ちが日増しに強まり、思いついたのが南米行き。ただの放浪癖だけではなく、自分の意思の外側にある大きなチカラに突き動かされていた気もします(と言い訳もしておきます)。南米は波が良さそう、自然や人情・文化にも触れることができそうだ、あわよくばその後にアフリカ大陸を訪れ世界一周できるかも、という漠然ととした動機からはじまった旅でした。チリという国はあまり馴染みがなかったので、より新鮮な体験ができるだろうということで興味が湧いてきたのですが、当時はインターネットもたいして普及していない時期で、チリのどこで波乗りがどこでできるのかというのもよく分かりませんでした。情報は唯一、アメリカのサーフィン誌が発行していたSURF REPORTという冊子。アメリカから取り寄せたその冊子1枚を握りしめ、ニュージーランドからチリへと旅立ったのでした。
皆様、はじめまして。CHOCOLATINOと申します。