CHOCOLATINO -旅の記録- | CHOCOLATINO ラテンの風 - Part 18
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CHOCOLATINO -旅の記録-

砂漠の街と波2

砂漠の街の波はパーフェクション!

ココはリーフのポイントブレイク。20〜30mの短いがバレルオンリー、時々エアーが吹き出してくる、テイクオフしてバレルを抜けて終わり。頭くらいのスープでもみんな簡単に吹っ飛ばされ、身体がバラバラになりそうな位巻かれる。みんなの感想はいつも「Heavy….」。大丈夫かッCHOCOLATINO?

アウトに出るのも幅1mくらいのチャンネルがあるだけ、上がるときも必ずソコに戻らないと危ない。チャンネルの下のリーフは鋭くナイフのようだ、リーフの間にはウニがギッシリ。ブーツがないと歩く事ができない、歩けても引き波が強く立っていられないくらいだ。大丈夫かッCHOCOLATINO?

それでもダブルくらいまでは自分でできそうだと判断。当然、リーフのイタい目に合いながらも大いに楽しみ新しい世界を見させて頂きました。ヘヴィーでシンプルな波だった。

ストレートにドーンと、何か問いかけられた気がした。

P.S.

唯一裸足で入った時にウニの針が足に刺さってしまった。10ヶ月先の帰国迄、ウニと針は足に刺さったまま旅を続けた。チクチクしながら♪

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砂漠の街と波1

サンチアゴから24時間?やっと到着したようだ・・・
ボーッとしながらバスを降りると刺さる様な日差しとカラっとした陽気。
暑い地域まで移動してきたんだなーとCHOCOLATINOの丹田あたりから実感が湧いてきた。で、振り返るとスグ目の前に砂漠がッ!

砂漠に温められている?のか、見ていると体感温度も上がってきた。
「タクシー?」次々に運転手が声をかけてくる。人の雰囲気はペルーやボリビアの地域に似てきて、また異なるカルチャーに入ってきたようでワクワクしてきた。波はどこ?さあ、どんな人に会えるのか?どこがアブない?・・・またカルチャー・ショックを受けたいゼ、フフ

っア!その前に宿探し。こんな時、サーフボードさえなければラクラクなのだが。
南で会ったアミーゴ「エキス」(両腕でバッテンをつくりエキィッと名乗る男・・)。
「エキス」
イチオシの宿に行ってみることにした。。タクシーよボられないかな。。

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砂漠の街と波へ


アルゼンチンでの刺激的な日々、とにかく楽しい・・・・が、永遠なんてないのだ。
とどまっている場合ではナイ!!CHOCOLATINOまだまだ旅を続けなければいけなかった。メチャメチャ後ろ髪ひかれつつもアルゼンチンを去ることにした。またアミーゴ達に会えるのだろうか。。アンデス山脈を越え再びチリのサンチアゴへ。ここから太平洋沿いをバスで北上することにした。はたしてどこまでイケるか!

サンチアゴを離れしばらくすると緑が少なくなりやがて砂漠地帯に。左は海、右はアンデス山脈、チリは細長い国土なのでずっとこの景色が続きます。途中バスが止まる度に中にお菓子や新聞の売り子さん達が入ってくる。売り子さんが車内に持ち込む新しい風や道端に出ている屋台からその地域や街の雰囲気を感じた。乾いた空気と砂漠の砂っぽい匂い。どんな街に着くのだろう、危ないかな、ドキドキ。

夕暮れの車窓はこんな感じ。まだまだ旅は続く。
目的地まで24時間・・オシリもイタくなってきた・・寝るしかないなー

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「La Ciudad de Los Niños 子供の街」2 Argentina

Argentinaを訪れたのは12月〜1月。真夏に入りつつあった!

この街は、みんな別の街や海外に出稼ぎに出掛けているヒトがとても多かった、一家に数人はいた。
そんな彼らも夏のクリスマスシーズンに合わせてなんとかジモトに戻ってくる。夏場は観光客相手の仕事があるのだ。でも、海水浴客で賑わう夏に休みなんかアルワケナイ!アミーゴ達はサーファーだったので、ライフガードが多かったですね。実際!流されるヒトが多いコト、みんな忘れやすいのか反省してナーイ。目の前をガンガン沖へ流されて行く・・・・しかし、アミーゴ達のお陰でみんな助かっていました。こんな時はCHOCOLATINOも鼻高々でアミーゴ・ライフガードの救命具の片付けを手伝ったモノです。

毎日こんなに忙しいのに、1年ぶりに再会するアミーゴ達は寝る間を惜しんで毎晩フィエスタ(パーティー)に本当に出掛けます。「今日はアイツの家でアサド(バーベQ)、その後はあのBARにバンドが来るから・・」CHOCOLATINOも毎晩参戦してみた!いったい、いつ寝てたんだろう・・・本当にタフだ。

仕事を求め国内外を精力的に動いていたアミーゴ達。アメリカやヨーロッパどこでも!(今ならアジアやアフリカもかな・・)日本人にもそういうスタイルが少し必要かもしれませんね。

飲みまくったアルゼンチンのCerveza“QUILMES”キルメス。ボカのスポンサーです!

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「La Ciudad de Los Niños 子供の街」1 Argentina

前回からの旅話の続き・・・・

チリのCHOCOLATINOハウスにはいろんな国からのサーファーが集まっていた。その中にArgentinaのアツいサーファー軍団との楽しい思いでがある。しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎやがて彼らアミーゴもアルゼンチンへ戻って行った。別れ際にお互いのアドレスを交換し再会を約束した。

コレは行くしかない、フフッ・・

アミーゴArgentinosマルティン、アドリアン、アレッホの3人だ。彼らもあのアクシデントの時は親身でケアしてくれた。海に入れない時期が続いた時もいつも夜の街へ遊びに誘ってくれた。シツコイくらいに。。とにかく飲んだ。飲みまくった。こんどはアルゼンチンの海で波乗りしながら彼らの暮らしぶりやどうやってあの大らかなラテン気質を育ててきたのかを探ってみたかったのだ。居心地の良い場所を離れるのはサビシーが南米中旅を続けたいと思っていた。南米の波全部乗乗りたかったし未知の世界をどんどん見たいとも思っていた。そこで、チリのCHOCOLATINOハウスを旅立ち向かったのがアルゼンチンだった。

アルゼンチン海沿いの大都市マル・デル・プラタからさらに田舎に行った小さな海岸の街。
「La Ciudad de Los Niños 子供の街」
という街のスローガン通りとてもチビッ子やヒトに優しい。道路でも歩行者がまず優先だ。目が吊り上がったようなイライラしたヒトはいない。マル・デル・プラタも奇麗に整備され悪くないがより小さく優しげな田舎のこの街がしっくりきた。

波はというと同じ大西洋でもブラジルと比べてこの辺りはより波は穏やかなようだ・・チカラのないビーチブレイクがほとんど。「ココはビーチブレイクで一 年中波が小さいんだ。だからチリとか行くと慣れるまでがねー」なんて日本と似たカナシー境遇なのでまたまた親近感が出てきた。でも、とにかく波乗りはできるの で満足、街のヒトもゴキゲンなので毎日朝起きるのが楽しみになってきた。

Miramar”La Ciudad de Los Niños”, Argentina!!

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Punta Hermosa en Peru

今、ペルーのプンタ・エルモサで世界ジュニア選手権大会が行われています。
ココはかつてCHOCOALTINOも旅したことのあるビーチ。海岸の景色を眺めていると昔の匂いが蘇ってキター!リマからやってくるサーファー達はかなりアグレッシブで一本の波に常に5人くらいドロップインしてくる・・なかなか乗らせて貰えなかった。なので大会とはいえ、ココを貸し切りで波乗りできるのは羨ましいです。
ココん家では地元の漁師と意気投合して海の家でセビッチェ(魚介類のマリネ)をご馳走になった。一緒に食べたアメリカ人は、その後真っ青な顔をして救急車で大至急運ばれて行った、点滴を打たれベッドからしばらく動けなかったらしい。おかげ様で翌日から部屋は一人で貸しで使わせて頂く事に。宿のオヤジにも「あのオヤジの魚食べるのは、アナタはカミカゼね」とよく分からない驚かれ方をした思い出の地プンタ・エルモサだ。この頃、ボリビア〜ペルー〜エクアドルまで4ヶ月程旅してたが、常にお腹の調子は良くなかった。露天など汚い店ほど美味しそうに見える法則、あの誘惑につい。。
USAチームのコーチ、イアン・カーンズもセビッチェ食べたかな?

今頃、地球の反対側は・・

日本はGWに突入、地球の反対側では・・

月面着陸しているかも?
この写真以上に幻想的な場所です。
ココもチリです。

今頃、地球の反対側は・・

今頃、地球の反対側は氷河もあるが・・コレも4月だった。

南極の氷河から飛行機とバスで3日間くらいかけて北上すると砂漠と塩湖が広がっていいた。。

ココはチリ北部のアタカマ砂漠。海沿いから海抜2500mくらいあったかな。。急に登ると高山病の症状が出る人も、ゲーゲー吐いている人がいた。でも、この景色に吐くのも忘れてしまうというか・・ゲ○を飲み込み直してみんな楽しんでいました。水辺のゴツゴツは全て塩の結晶、たしかにしょっぱかったのを覚えています。水辺にフラミンゴが舞い降りてきたりピンク色に染まる山並みはそれはそれは美しい。
アタカメーニョという人達が住む地域でペルーやボリビアに似た雰囲気です。

この時はケチって格安バスばかり使っていたので腰がねー、CHOCOLATINO大変。

@Salar de Atacama

今頃、地球の反対側は・・

4月も後半戦、桜も散り始めている(関東エリア)。
いまごろ南アメリカはどんな気候かな、と過去の写真を眺めていた。

ちょうど数年前の4月に訪れた時の写真。
ココはチリとアルゼンチンへの国境。手前がチリ、向こうがアルゼンチン。

ペリト・モレノ氷河Peroto Moreno Glacier

何キロも何キロも続くダイナミックな氷河に圧倒・・・ずっとCHOCOLATINO往復ビンタされ続けていました。南極に近く氷河があるくらいの場所なのでとにかく寒い、しかもこの日は雪。カメラのシャッターも数分で押せなくなるくらい痺れました。向う岸の氷河が数分置きに「パキパキ、ガォガォツ!」と爆音を立てて崩れ落ちていき、思わず後ずさり。生爆音と地面から伝わる振動に痺れた手も忘れて見とれていました。サーファー的には崩れ落ちる氷の塊が波を作り出していて、「あの波・・アレ乗れないかな〜」などと考えていました。キース・マロイとか行かないかな(笑)。怖さ、偉大さ、美しさ、喜び。。

アッチは今は秋か、食べ物が美味しい季節だ♪

Foto: Peroto Moreno Glacier, Argentina

世界は広いゼ・・

(今回は旅バナのツヅキ)

アクシデントの後、1ヶ月くらい海に入れない日々が続きました。目の前に最高な波があるのに・・アミーゴ達の楽しそうな波乗りを見ているとムズムズしてきます。それでも大好きな海を眺めていると一日あっという間、飽きないですね。コレが、CHOCOLATINOヘンタイ呼ばわりされる理由のひとつでもあるようですが。フハ。

さてさてその頃から、街へ買い物へ行くと見知らぬ人に話しかけられる回数が異常に増えてきまして。。

「Hola アミーゴ、ブルース・リー!もうケガはイイのかヨ?このアボガト持ってきな!ホンコンにはアボガドないだろ!? さあホラ!!」

通りの向こうからも、

「オーイッ、ジャッキー・チェン、こないだは大変だったな、同情するゼィ、今度は気をつけるのだゾ、もっとカンフーで鍛えるのだッ」

・・・ムムム、中国人でもカンフースターでもないのだが気にかけてくれているのは間違いなさそうだ。取りあえず手を振っておこう。なんかみんなオレのコト知ってるな。買い物がゼンゼン終わらない、歩けない。。。後で知ったのですが、例のアクシデントを誰かがローカルFMで話したって、マジ??
「日本のアミーゴがケガしたからみんな大事にしてやってくれよ!・・・・じゃあ次のナンバー♪」的な話があったようなのです。小さな街なので噂が広まるのに時間はかからなかったのでしょう。

当時、ミレニアムとか2000年問題とか騒がれていた頃、南米の海沿いの小さな街で世紀をまたいで局地的にかなりマニアックに知られたハポネスCHOCOLATINOなのでした。日本はよく知らないけどSONYとかCHOCOLATINOのいる場所なんだろ、でも日本てドコ?っていうか国?・・当時は日本にたいしてその程度の認識が強かった気がします・・・アウェイな感じとでも言いましょうか、かつての南米を旅した方なら分かると思うのですが。それでも波乗りを通して言葉だけでないコミュニケーションを取ることができたのが良かったのでSHOW(アクシデントなど恥ずかしい部分も含めて!)。

国境?人種?・・また少し学びました。シカーし、ちゃんとした形で知られたかった(恥)

※ココが噂のCHOCOLATINOストリート(仮称)。。そんなに照らさないでくれッ。