(前回のつづきです。。)
彼らはその後、周辺の新しいサーフスポットを次々に開拓していくのでした。そうした過程の中でなんとかサーフィンを続ける方法を模索していたようで、サーフショップを始めたり、大会の運営を手がけたりする人も出てきました。また、当時高校生で将来はプロとして生きていくと語っていたラモンは本当に!実現させ、今や世界的なプロサーファーになっています。ラモンは今年のハワイのワイメアで行われたエディ・アイカウという世界のトップサーファーだけが招待されるビッグウェイブの大会で好成績を残す等、すっかり遠い存在になってしまいました。プロサーファーという職業が存在しないときから高い目標に向かって努力を続けていた素晴らしい成果です。
そして、その地元サーファーの中にいた一人がクリスチャン・ピトでした。彼も古い板をずっと大事に使いながら毎日サーフィンに明け暮れていました。いつも良い波を選び、波の難しい所をカッコ良く乗り、とにかく熱心に海に入っていました。その甲斐もあり、今ではチューブライダーとしてみんなに一目置かれています。当時から絵を描いているのは知っていたものの、会うとひたすら波乗りや飲んだりして過ごしていただけなので、この時は将来、一緒に仕事をすることなんてCHOCOLATINOは考えも期待もしていませんでした。
ピトはその後ももちろん波乗りを続けていて(というかどっぷりハマり・・)、より海に近い場所(すぐ目の前!)で暮らし始めたことで彼の感性に磨きがかかっているようです。最近では町全体の標識を彼が手がけるようになりました。「海岸まで〜キロ」というのがサボテンの看板だったりするので、街を歩いているだけでワクワクしてきます。さらにサーフィン大会のトロフィーやコンテストの運営など、ピトの仕事はさまざまな分野に広がっています。